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ZENEI(ぜんえい)日記

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ためし

2014/05/03 23:55
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しばらくお休みします

2012/09/08 00:15
ZENEI日記にご訪問いただいてありがとうございます。

この度、漫画創作に集中することにしました。

そのため、しばらく更新できませんm(__)m

いつも気にかけて読んでいた方には感謝です。

次回更新がいつになるかはわかりませんが、

また会う日まで・・・ではでは
画像
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94 ライブを終えて

2012/08/12 23:45
ふと気付くとうっかり

1カ月以上も

更新していなかった!!


半生を振り返るどころでは

ないくらい忙しかったようです・・・笑


さて、

初のライブを終えて

メンバーはサティアンと呼ばれる

ベーシスト・ブランカ(仮名)の

自宅に集まり

反省会をした。


ライブハウスは

こちらが頼めば

ビデオ撮影してくれる。


ライブハウス側が撮影した

ビデオは

備え付けでアップや引きなどはなく

いわゆる防犯カメラのような感じ。

ただ音はライン録音されているため

各パートの音は

割と鮮明に聴きとれる。


一方、我々も(私も)記念すべき

第1回目のライブだったこともあり

自前のビデオを

親しい友人に頼み(この時は元77のタマオ)

撮影していた。


こちらは音は割れたり

また、当時の家庭用ビデオカメラのため

暗いライブハウスの

画像はすごく荒いものだった。


しかし、タマオが気をきかせて

ズームや引きで撮影したり

観客の様子も撮ったりしてくれたので

ライブの臨場感や

思い出としてはこちらの

ビデオは非常に貴重なものとなった。


その2種類のビデオを

みんなで鑑賞し

反省会を行ったのだ。


ビデオ検証の結果、

緊張もあったせいか

ドラムは曲の途中から

ややテンポが早くなる傾向があった。


そしてベースは気合いが入りすぎたのか

アタックが強すぎて

フィンガーなのに

まるでチョッパーのような

音になっていた。


ギターは安定感があり特に

問題はなかった。


キーボードはスタジオ練習では

さんざんミス連発だったわりには

うまく弾いていたように思えたが

だがしかし・・・!

マイナーコードできめるところが

なぜかメジャーコードで弾くという

とんでもないミスをやらかしてしまった。


ギターソロもマイナースケールを

弾いているものだから

さすがに

「ここでキーボードが

メジャーコードで弾かれると

ギターが間違えたと思われるんだよね」

と、温厚なピザシュガーも

チクッとクレームを言っていた・笑


ボーカルの私は

まずまずだったと思うが、

フロントマンとしてのパフォーマンスは

あまりに地味すぎたと思う。

本人はクールに決めているつもりでも

おそらく観客からは

棒立ちで歌っているだけ

のような印象だっただろう。


と、ひとしきり反省個所は

それぞれあったが

初のライブを終えて

安堵感もあり、またビデオで

自分らの演奏を見て

半年くらい練習して

やり終えたということで

出来はともかく

率直に嬉しかったし、

気持ち良かった。



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93 本番!ブランカのリボン伝説!

2012/06/27 23:33
いよいよ本番。

今思うと

初めて割には

緊張しなかったんじゃないかと

思う。


はじめから

直立不動というか

あまり動かないで

歌うスタイルを決めていたのだが

見る人によっては

それが緊張しているように

見えたようだが、

実際はそうでもなかったと思う。



もちろん、

全く緊張していないといったら

ウソになるが、

適度の緊張というか

心地よい緊張のような

そんな感じだった。


しかし、この日

一番ブレイクしたのは

ベースのブランカだった。


と、いうのも

バンドメンバー全員で

当初、ライブは全員スーツで

演奏しようと決めていたのだが、

彼はスーツは着ていたものの

その上にロングコートを着て

さらになんと!!

頭にリボンをつけて

本番に登場したのだった!!


彼なりに

カッコつけてというか

目立つために装着したのだと思うが

当時彼のキャラは

乞食キャラで

サティアンとも呼ばれるような

感じだったこともあり

普段の彼を知る仲間たちには

強烈なインパクトだった。


ちなみにそのライブから

17年経った今でも

そのリボン伝説は

仲間内でネタにされているほどだった。


みんなからだいぶ

ひやかされていたが正直、

私自身は

ライブに出る以上、なにかしら

自己主張するために

ヴィジュアルでワンポイント着けるのは

良いことだっと思っていたので

「ブランカはうまいこと考えたな・・・」と

内心思っていた。

なんせ、そのリボンのせいで

フロントマンであるヴォーカリストが

良くも悪くもベーシストに食われてしまったような

もんだから・・・。


しかし、彼は

みんなから「なんだよあのリボンは??」

と言われたせいか、

次のライブから外してしまった。


今にして思えば

その後もかならずリボンを着けるようにしていたら

そのうち認知されて

「リボンのベーシスト」というイメージが

定着して良かったんだと思うが

今、彼本人はどう思っているのか

聴いてみたい・・・。




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92 対バン

2012/06/13 08:05
対バンとは

同じステージの共演者という意味で

「対するバンド」の略。

ライブハウスのステージでは

だいたい夜の部で

4〜5バンドくらいが

普通である。


バンドなんぞやってる人間は

たいがい人見知りだし

うちらも例にもれず

積極的に知らない人に

話しかけるタイプはいなかった。


が、この時たまたま

対バンのリーダーが

ライブハウスの休憩所で

話しかけてきて、

ちょっと話をした。


彼らはロカビリー系のバンドで

「やっぱオリジナルじゃないと

売れないっしょ!」

と自信満々だった。


ドラムのジャンボバンブーは

その時は

話を合わせて

「リハーサル見たけど

かっこいいじゃないっかぁ〜」

・・・とテキトーにしゃべっていたふが、

その人がいなくなると

「フン・・・今のうそうそ(ニヤリ)

おれの相手じゃねえな(対バンのドラムは)」

とこれまた自信満々だった。


もうリハーサルから

内心、皆ライバル心を持って

火花がぶつかりあっているのである。


ちなみにうちらのバンド「MUSHINONE」は

ロックはロックだったが

特定のジャンルといえるような

音楽ではなく、それこそ

オリジナルな音楽をやっていたという

自負があったので、私自身は

当時対バンに対するライバル心が

それほどなかったと記憶している。




そして自分らもリハーサルをしたが、

ヒカリさんにローディー(荷物持ち)として

いっしょに入ってもらい、

音のチェックなども

してもらった。


なんせ初回のライブなので

リハとはいえ緊張感あったし

それぞれの思いがあったので

それが伝わったようで

リハ終了後

ヒカリさんはうちらの演奏に

拍手してくれた。


さて、

本番のステージにあがる順番だが

なんとトップバッターだった。


だいたい初めてそのライブハウスで

演奏するバンドは

トップに持ってこられることが

多かったが、

招待したお客さんを

待たせないですむので

良かったと思う。










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91 初ライブ当日

2012/05/30 23:27
さて

いよいよライブ当日・・・。


なんと


ライブデビュー前に

花粉症デビュー!!


当時は、

風邪をひいた・・・と思いきや

今思えばあきらかに花粉症。


体調管理も

人前で歌を歌う以上当たり前。


当時は

自分の体調管理の甘さと

もともとの病弱体質を悔んだが

花粉症ではどうしようもない。


仮に花粉症と、その時気付いたとしても、

花粉症の症状をおさえる

抗生物質やらの薬を

耳鼻科で出してもらえることすら

知らなかったので・・・。


とにもかくにも

けして声やのどのコンディションは

好調ではなかったが、

もうバイト先の店長をはじめとする

仲間たちや、

昔からの友達も招待して

ちらほら来場していたし

いいわけ無用!!


緊張は・・・


ないと言ったら嘘になるが、

今思うと「初ライブ」の割には

それほどしていなかったように

記憶している。

ライブ経験豊富な

ギターのピザシュガーが落ち着いてしたし、

ドラムのジャンボバンブーも自信家のため

余裕の様子だったことも

良い影響を受けたような気がするし、

しいていえば歌詞間違いを

しないようにという面では

かなり気を張っていた。



この時は

デビッドシルビアンになったつもりだったので

ライブのパフォーマンスとしては

あまりMCを入れずに

踊りは踊らず、クールに歌う・・・

と決めていた。

そのため、あれこれ考える

必要がなかったんだと思う。


でも、やはり

初めて「ライブハウスで演奏する」

という漠然とした不安は

あった思う。


それと、

前回書いた

バイト先のパン職人「ヒカリさん」と

バンドメンバーはこの日が

初対面。


私がちゃんとヒカリさんを

メンバーに紹介して

うまく説明するべきだったが

やはりライブ前の緊張のせいか

うまくバンドメンバーに

ヒカリさんを紹介することが

できなかったのは

申し訳なかったと反省している。


そのため

メンバーも

「いったいこの人は・・・??

パンの匂いがするが・・・一体何者なんだ??」

という感じになってしまった。


のちにヒカリさんからも

「おまえは冷て〜よなぁ

もっとちゃんと俺を紹介してくれよ〜」

と愚痴られたし・・。


19歳当時の私は

本当に人見知りで

口数も少なく口べただったので

気のきいた紹介や

人と人とを取り持つような

芸当能力は皆無だった。


口べたというのは

まだ健在とはいえ、

37歳の今ならけして

そんな感じにはならないと思うが

これも若気の至りというやつですな・・・。


さて、

リハーサルの時間・・・






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90 MUSHINONE(ムシノネ)動き出す!

2012/05/21 22:52
さて、ライブの日程も決まり

いよいよ本腰?で練習。



ある時は

4トラックのMTRを持ち込んで

それぞれのパートを録音して

ミスった個所、傾向などを

研究したり、

練習風景を

ビデオ撮影したり(研究と緊張に耐えるため)、

ミスしたら

缶コーヒーをメンバーにおごる・・・

など

いろんな手を使って

仕上げていった。笑


また、

もともとは私が自分のソロ曲を

ライブでやりたいから

みんなバンドやろう!・・・

というのが

発端だったため、特にバンド名も決めていなかった。

しかし、どうせやるなら

あくまで「ロックバンド」として出よう

ということになり、

またいつものデニーズで

チョコブラウニーサンデーを

食べながら

長時間、いろんな意見を出し合って

「MUSHINONE」(虫の音)

というバンド名になった。




さて、

こうした19歳当時の

若者バンドの活動を、

バイト先(某パン屋)のある中年社員が

私から、もしくは

他のバイト仲間の噂等から

見聞きしていた。


その方はヒカリさん(仮名)と言って

若い頃フォークソングのミュージシャンを

目指したことがあり、当時39歳の

パン職人的な社員だった。


そのヒカリさんは若い頃

私たちと同じようにバンドで

ミュージシャンを目指していたが

親に反対されあきらめたという

経歴を持っていた。


そのため、

若者がバンド活動をしているのを

見ていると

「昔の自分のようにならないよう

何か手伝ってやりたい」という

気持ちが出てくるらしく(本人談)

非常に親身になって

私の面倒を見てくれた。


ライブのチラシ作成についても

いろいろとアドバイスをくれたり

曲についてもいろいろ

貴重な意見をいただいたりした。



そのうち

「俺がおまえたちのバンドの

マネージャーやってやるよ」

とも言ってくれるようになり

スタジオ演奏の

プロモーションビデオも

持参のビデオカメラで

撮ってくれたりと、

当時の私たちをリードしくれたのは

非常にありがたいことだった。



そして

そのヒカリさんももちろん

ライブに招待し、

バイト先の店長をはじめ

バイトの仲間たちを

できるだけ誘ってみた。



さて、

いよいよライブ当時である。
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89いつライブ?

2012/05/13 14:53
さて

話は戻るが、定期的に・・・

確か週1回だったと思うが

スタジオに入り、

ひたすら練習をしていた。


しかし、

ピザシュガーや、ジャンボバンブー以外の

私、ブランカ、アバンの3人は

ライブ初心者であるため

どんだけ練習しても

なかなか自信を持つまでには

至らなかった。


また、もともと友達で結成された

バンドのため、

ミスなどにもどこか

笑ってすまされる部分もあり

ある一定のところから

なかなか上達することがなかった。


スタジオが終わると

みんなでデニーズで飯を食うのが

お決まりのパターンとなっていたが

金がない組は

コーヒーのみとか、

コロッケとライスだけ頼んだりしていた。


私などは金もなかったが

甘いものが好きだったので

チョコブラウニーサンデーを

必ず頼んでいた。


みんな「金ね〜よ」と言う割に

たまにスタジオ代よりも

デニーズ代の方が高くなることもあった。


アバンなどは気前が良く、

「俺、金ないんだよね」

といいつつ

みんなで食べられるポテトや

唐揚げなどをけっこうたくさん頼んでいた。


そんな感じで

なんとなくだらだらと

練習する日々になってしまい

ある時

ジャンボバンブーが

「おい、もう3カ月以上練習してんだから

いいかげんなんとかしろよ。

もうライブの日程先に決めちまった方が

いいぜ!

そうしないといつまでたっても

仕上がらないから!」

と業を煮やして言い出した。


た、確かに・・・。

完璧になってからライブ・・・

というのではいつになることやら。


一応バンドリーダーである私は

ライブハウス出演の日程を決めた。


そのライブハウスの出演バンドは

チケットぴあにもライブスケジュールなど

掲載されていたので

それなりにやる気になった。


初のライブは3月に行うことになった。
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88タバコのきっかけ

2012/04/25 23:17
前回の話で

タバコが話題に出たが、

ここでタバコを吸い始めたきっかけを

記しておこう。


ちなみに今は吸っていない歴10年目かな。笑


私はもともと

大のタバコ嫌いだった。


両親が吸ってなかったので

無縁だったこともあり、

子供の頃レストランで

タバコを吸っている人の隣に

座ってしまい、

煙のけむさにひどく不快に感じて

親に、タバコの煙が嫌だから

早く出ようよ!なんて

行った覚えがある。


その嫌悪感は

10代後半の「年頃」になっても

変わらず、

友人が20歳前なのに

吸っていたりすると

いちいち注意していたほどだった。

特にタバコを吸うこと自体は

個人の自由なのでともかく、

タバコを吸う人の良くない面は

ポイ捨てである。


高校生くらいの同級生などは

社会意識もない年頃なので

平気でタバコを路上に

捨てていた。


それが嫌で、注意していたら、

今度は友人が面白がって

私に見つからないように

あえてポイ捨てをするようになり、

生真面目な私は

からかわれていたのだろうが、

逆にポイ捨て率が上がってしまい

私は頭を悩ませていた・・・・。



と、ところが



・・・


友達の一人、ウェーバー(仮名)が・・・

私がタバコ嫌いを知っていて

とにかく

「一口吸ってみて!一口!!」

と、会うたびに何度も言ってきて

私も、ものは試しというか、

吸わずに一方的に嫌悪してるのも

あれだしな・・・と思ってしまい

一口吸ってみることにした。


もちろん、

はじめは「ゲホゲホ!!」

むせて咳き込んで

やはり「なんじゃこりゃ!!」

と、なった。


が、その後もウェーバーから

なにかと一口でいいから

吸うように頼まれ

あれよあれよという間に

吸い方を伝授されてしまった。


今考えるとまさに

洗脳された??に近い。


嫌悪感もろだったのが

そんな「一口試し吸い」をウェーバーに会うたびに

繰り返してると、

そのうち

いかにしてむせずにうまく吸うか!

という視点になってきてしまい、

そのうちに

うまいと感じるかどうか?

という課題に変わってきていた。


そして


とある夜・・・



「むむ・・・

なんかタバコ吸いてぇ・・・」

と、思う瞬間を認識してしまった。


そしてその数日後

わたしは

夜な夜な

地元の豆腐屋の横にある

タバコの自販機に向かっていたのだった。

(この豆腐屋は同窓生たちのたまり場だった)


ちなみに、前回記事の通り

その当時、セブンスターを吸っていたのは

そのウェ-バーが

セブンスターを吸っていたから

自動的にセッターが

好きになってしまった

と、いうことである。
















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87 タバコで声が・・・

2012/04/18 23:27
さて

この初バンドの

スタジオ練習で

思いでに残っているエピソードとしては

休憩時間だ。笑


長い時では、2〜3時間予約して

練習していたので、

当然、中休みを入れていた。


当時、私はタバコを吸っており(今はノースモーキングマン)

休憩時間には

缶コーヒー飲みながら

タバコを一服するのが

楽しみでもあった。


が、しかし

当時セブンスター(ニコチン高めのタバコ)を

一度に何本も吸っていたためか

このころはよく

高音域のメロディを歌うと

声が裏返ってしまっていた・笑


私の声質は

特にハスキーボイスではなく、

どちらかというと

伸びのある低中音域の美声?

を売りにしていたので

タバコで渇いた感じの声になるのは

声質的には、

あまりプラスではなかった。


まして高音で

裏返ってしまう実害が

出ていたのだから

ヴォーカリストとしては

禁煙すべきだったんだろうけど・・・

当時は吸い始めだったこともあり

やめようなんで

これっぽっちも思わなかった。


また、

バンドメンバーも

喫煙者が多く、

当時の5人のメンバー全員

愛煙家だったような気がする。


もともとバンドマンは

だいたい喫煙者が多い。


そのため、当時は特に

分煙や禁煙という文化がなかったこともあり

スタジオそのものの空気が悪かったような気がする。


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86スタジオ入り

2012/02/28 08:47
5人そろい、

バンドは始動した。


ピザシュガーのギターを入れた

デモ曲数曲をメインに

スタジオ入りすることになった。


スタジオは以前

中学生の頃だったか

ジャスコの楽器店の

スタジオにアバンとブランカで

遊び半分で

入ったことがあった程度だったが、

その時はドラムの奪い合いで

セッションどころの話ではなかった。


しかし

今回は本格的なスタジオで

ライブという

目的がしっかりあったし、

経験者の

ピザシュガーや

ジャンボバンブーがいたので

まじめにやった・笑


私は当時親の車(キャロル)を借りて

運転し、バンドメンバーを乗せて

スタジオまで行っていたが

当然、スタジオの駐車場なんて

2台くらいしか止められず

駐車場には毎回困っていた。


今思うと

ほとんど路上駐車だった気がする。

(当時は今ほど路上駐車の

取り締まりが厳しくなかった)



そして

スタジオの店員は

無愛想だった。

当時はなんて

「店員なのになんて無愛想な!」

と思ったが、

今思うと、スタジオの受付なんて

どこもたいがいそんな感じ。


中にはミュージシャン志望の

若者がバイトしてる・・・・

てのは、ざらなもんだから

通常の積極態度を

望むのはどだい無理な話かも。




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85とにもかくにもバンド結成

2012/02/12 16:18
ブランカに対しては

過去の因縁もあり

複雑な感情を抱いていたが

とりあえず

ジャンボバンブーとともに

ブランカ宅を訪ね

声をかけてみた。



ブランカはかつて

ミラーというバンドで

ベースを挫折?しているため

本人も自身が持てないようで

なかなか首を

縦にふらなかった。


ミラー時代は

練習に身が入らず

どうも演奏が上達しなkった。


で情熱にあふれていた

私から見て

これは向かないんじゃないかと思い

脱退を促した経緯があるので

正直、私も

もし彼が承諾したとしても

また同じようになるのでは・・・

と不安がよぎった。


しかし

このバンド結成には

ことのほか積極的だった

ジャンボバンブーが

「ちょっと練習すりゃすぐ弾けるよ」

と強い押しで勧めたのが

功を奏して

ブランカはようやく

ベーシストになる決意をした。


こうして

ボーカル、ギター、ドラム、キーボード、ベースの

5人がそろいバンドは形になった。

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84 ベーシストにはなんと!

2012/01/25 12:03
バンド結成にあたって

キーボードディストを

旧友アバンにお願いした時も

ちょっと説得に

苦労したような記憶も

うっすらあるが、

最後Bassを誰にするかが

問題だった。


思い浮かんだのは

あのブランカ・・・。



ブランカは元々

当時活動休止していた

「ミラー」という

中学生の頃組んだバンドの

ベースを担当していたのだが、

いきさつが、音楽的な理由ではなく

友達として仲間になろうという

ものであったこともあり

練習不足でついていけず

脱退扱いとなっていた。


しかも、

このブログでも

以前語ったように

ブランカには

恋仇で恨み心がないわけではなかった。


そういった感情的なものと

純粋に音楽的な技術を

身につけられるのか?という

面で疑心があったが、

ドラムのジャンボバンブーや

ギターのピザシュガーが

「ちゃんと練習させれば大丈夫だろう」

と、押し、

私も個人的な感情を理由にかたくなに

彼を拒むこともできず

ブランカに声をかけることにした。


また、

今考えると

我ながら恐ろしいことを

考えたと思うが、

同じバンドとして

行動を共にすることで

ひそかに恋仇ブランカに対して

復讐の機会を

こしたんたんと

狙う意味もあった。







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83 メンバー集め

2012/01/05 22:34
同級生のドラマー

ジャンボバンブーに

ライブについて聞いたところ

「絶対やった方がいい!」

とのことで

「ライブの薦め」

をかなり力説してくれたと

記憶している。


彼自身

ライブが好きで

ドラムには

並々ならぬ情熱が

あったし、当時は

テンポキープが苦手のようだったが

テクニックはかなり上手く、

彼の素質からすれば

プロを目指しても不思議は

なかった。

しかし、照れ屋でニヒルキャラで

通していたせいか

けして自分から

プロを目指そうとはしない男だった。


だがしかし!


話をしているうちに

盛り上がり、

もし私がバンドを組んで

ドラマーとして

オファーしたら

快諾してくれるという話になった。


そんなこんなで

私も、ライブ主体の

ロックバンドという

初の試みにテンションが

上がり、

いよいよバンド結成を

決意した。



ギターはもちろんピザシュガー、

ドラムはジャンボバンブー、

そして、キーボードは・・・

やはり旧友の

アバンしかいなかった。

私もキーボード演奏はそこそこ

やるとはいえ、

私はバンドにおいては

ヴォーカルに専念したかったので

私と感性が非常に近く

一番身近な音楽仲間でもあった

アバンにお願いした。



かくしてこの3人には

早速声をかけて

次々とメンバーが

揃って行った。



さて・・・問題は

ベースを誰に頼むかだった・・・・






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82 バンドの芽生え

2011/12/27 23:35
ギタリストに

ギターを弾いてもらうという

新しい試みで

すっかりサウンドに

幅が出て、より音楽制作に

ハマりつつも、

こうなってくると

やはり、今後ファンをつけて

プロとして活動する上でも

ライブをやらないといかん・・・

また、気持ち的にも

ライブをやってみたい!

と、バンドでのライブ活動を

あきらかに意識するようになった。



作詞、作曲や録音等、音楽について私は

同級生の中でも


割と早い時期に始めた方だったが

バンド演奏や

ライブ(人前で歌うのも含む)については

内向的な性格が邪魔して

同級生ライバルに

遅れを取っていた。


そこで、

ライブ経験者の友人に

いろいろ聞き込みをすることにした。


もちろん、

ライブ経験者の

ピザシュガー(ギタリスト)にも

聞いてみたが

当然のように

ライブ経験はした方がいいという

返答だったと記憶している。


次にいろいろ聞いてみようと

思ったのが

ドラムのうまさには

定評があった

同窓生のジャンボバンブー(仮名)。


彼とは小学生時代は

かなり親しい親交があり、

毎日のように彼と遊んだ

時期もあった。

相撲やプロレスをしたり、

ファミコンのバトルで

熱くなったり・・・

中でも「つっぱり大相撲」や

「エキサイトバイク」、「魔界村」は

かなり燃えた!

「アイスクライマー」、「バルーンファイト」の

対戦は門限を忘れるほどであった・・・



おっと、話が脱線しちゃいけない。

この手のファミコン話はつきないので・・・苦笑


しかし、

そんなジャンボバンブーとの仲も

19歳当時は

なんとなく疎遠となっており

久々のコンタクトではあった。


彼はその頃、

ハードコアというジャンルの

音楽にハマっており、

ツーバスドラムに

凝っていて

ライブ経験は

ピザシュガーと並ぶ

経験者となっていた。


また、かなりの個性派で

以前、タマオとのユニット

「セブンセブン」の

デモテープを

聞かせた時は

かなりバカにされたほど

皮肉屋で好き嫌いが

激しいタイプでもあった。


そんな彼に

ライブの話を

聞いてみたところ・・・







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81ライブをやってみたい

2011/12/13 11:05
「蜃気楼」という名曲ができ、

それまでデモテープはすべて

コンピューターへの打ち込みと

自分の演奏で

録音していた私としては

初の試みであった

ギターをちゃんとギタリストに

お願いする・・・

ということで

楽曲の完成度は

かなり高まった。


この味をしめ、

新たに数曲かきおろし、

中学時代の同窓生の

ギタリスト・ピザシュガー(仮名)

に次々と録音をお願いしていった。


今考えると

あの時点では完全に

私の曲創りを手伝うだけで

無償で練習してもらって

家に来てもらい、

演奏をお願いしてたのは

友達とはいっても

一方的すぎた。


しかし、ピザシュガーは

快く引き受けてくれた。

そして

彼のクリアなギターサウンドが

入ることによって

今までにないサウンドの

楽曲が次々とできていくことに

私は快感を覚えた。


そんな彼とのやり取りの中

ライブの話が出た。


私はかつて

ミラーというバンドは

やっていたものの、

作詞・作曲や

自宅録音がメイン活動だったため

本格的なライブというものの

経験がなかった。


しかしピザシュガーは

当時すでにライブハウスでの

ロックライブを何度も経験しており、

彼がうちに来る時は

洋楽のライブビデオを

紹介がてら

いつも持ってきてくれて、

休憩時間に一緒に観た。


そうこうしているうちに

私は

「バンド」を新たに組んで

ライブを行うことに

興味を持ち始めたのだ!!








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80 名曲ができた!

2011/11/30 12:06
さて

こうして

酔っぱらった勢いで

始まった恋も

撃沈し、

私は失意のどん底にあった。




しかし

その時期

作曲をした作品の中で

思いもよらぬ名曲が

生まれた。


「蜃気楼」という曲で

どんなに強く求めた

熱い恋や愛も

蜃気楼のような幻で

現実にそこには存在しない

空しさや儚さ歌った曲で、

下記にて聴くことができます。

http://www.youtube.com/watch?v=4KuOj-cxIeg


私の曲創りというか

当時のデモテープ制作は

オールインワンシンセと、

アタリというメーカーの

コンピュータでCUBASEという

音楽ソフトを使って録音されていた。


今のようにHDもないし、

オープンリール式のMTRは高額だった。

セブンセブン時代に

8トラックのどえらい高いカセットMTRを

やっとこ購入して、

演奏録音はすべて

自分で行っていた。


しかし、この時期から

やはり自分の演奏力に限界を感じ

より幅広い曲を作るため

ギター演奏を

友人にお願いするようになった。


記憶は定かではないが

多分これが初めて

ギター演奏をお願いした

曲だったと思う。


そしてこの曲は

後にバンド、ソロともに

ライブでは欠かせない

曲として

私の人生でおそらく

もっとも多く歌う曲となるのである。

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79 衝撃の事実

2011/11/15 05:01
そしたら

な、な、なんと・・


その時かどうだったか

定かではないが

ブランカの口から

「彼女は俺のことが

好きなんだよ・・・」

と、

衝撃の事実を知らされた!!


「へ??」


鈍感な私は

はじめ状況がつかめなく

とまどった・・・。


つまり

はじめにきっかけを

つくるために

ブランカが

声をかけて口説いた時点から

ベルマリンは

ブランカに関心を持ち

それからは

特に2 VS 2 で

飲んだ時から

完全にブランカに

好意を持ち

ブランカに近づくために

なくなく私と

付き合っていた

というわけである。


そういう結果になって

「すまん」

的なことは

ブランカから言われたが

御人好しの私は

ブランカが友人である

私を思ってやってくれた

結果だから仕方ない・・・


自分の良さが相手には

伝わらなかった

自己責任でもある

と、その時は

そう思ってむしろ

屈辱的な結末にも

気を取り直して

感謝していたほどだった。



だがしかし・・・!!



それはかなり

鈍感なおめでたい

人間だったと

後々

思い知らされるのであった。


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78 決着戦

2011/11/10 09:35
勇んでディナーに

出かけたものの

結果は

世紀の大凡戦・・・。



今考えると

気配り練習をしたり、

いろいろ作戦練った割には

とくに可もなし

不可もなしという感じだった。


その後、具体的に

どういった攻勢をかけたか

覚えていないが

最終的に

電話しても居留守を使われた?のか

連絡が途絶え始めたので

半分やけくそで

ついに最終アタックを決意した。



最初のアタックの時同様

もはや待ち伏せ作戦しか

なかった。



なんとか向こうのあがり時間の

見込みをつけ、

その時を待った。


しかし

結果は

ゴングが鳴っても

執拗に攻めたため

反則負け失格と言ったところ。



相手が泣くまで追いつめてしまったのだ。


泣かれるとは・・・!!
泣きたいのはこっちだよ〜!!


と、思いつつ、

さすがに退却した。



2度目の大惨敗。


そして

とりあえず

悲しみを自分1人で

しまいこんでおくのも

辛いので、

その辛さを紛らわす意味もあり

世話になった

ブランカの家を訪ね

顛末を報告した。



そしたら・・・




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77 裏取引

2011/11/01 07:29
その後

なんとかタイマン勝負にでるため

個人的に誘ったが

ベルマリンは

なかなか首を縦にふらない。


何度か頑張って

ようやくタイマンディナーに

持ち込んだ。


しかし、

ベルマリンはもう

ブランカのフォロモンで

ブランカに

興味がある状態になっていた。



そのため、

私からタイマン勝負を

かけられた直後に

ブランカに電話して

ブランカに告りまクリスティーをして

相談していたらしい。


で、ブランカが

行くように説得して

なんとか私の挑戦状を

ベルマリンが受ける形となり、

成り立った話だったようだ。


その裏話はすべてが

終わってから聞いた話だったのだが

これほど

屈辱的なことは

なかった。



ブランカは

ボクシングのセコンドのように

信頼していたため、

そのセコンドと

相手選手との間で

そのようなことがあったとは・・・


しかも、私を避けるための

相談をベルマリンがしてたとは・・・

それでは私はまるでピエロじゃないか!!

と・・・。

しかし、

ブランカが行くように説得して

1対1の対戦が実現したことは

何にせよ

ブランカには感謝している。


そこで

ベルマリンを

KOすれば良いのだから・・・!




だが、当時は

そんな事実を

知るよしもない私は

意気揚々と

タイマンディナーに

出かけて行った。
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